起源(きげん)

         ☆ネクタイのルーツは?                                                 現在のネクタイの形にとらわれず、広くネック・ウエアとしてそのルーツを探ると、そもそもの出発点は人類が誕生した時点までさかのぼれそうです。今から10万年前、5万年前ともいわれる大昔、ネアンデルタール人と呼ばれる、われらが人類の祖先はどのような格好をしていたのか。

 ネアンデルタール人も、飾っていた!!
一般には、小布を腰にまく程度の衣服だったといわれる。いや衣服に相当するものなど一切まとわず、貝殻や獣の角、歯といったものを繋ぎ合わせた首飾りや腕飾りだけであったとの考え方もある。原始時代には、衣服以前に首や腕などを飾る習わしがあったといえる。ただ、それらは一種のお守りであって、マスコットとして用いられた迷信的な象徴と理解できる。装飾的な意味合いが強くなるのは人間社会が形成された以降と考えるのが妥当と考えられる。
ちなみに、人類の衣服の起源には
@からだ保護説A装飾本能説B呪術説C羞恥説、
さらにはこれらが相互に作用したとするD総合説などがある。

確かにルーツをたどれば、服飾全てが人類誕生のシーンにまで行きつきます。が、ネクタイとしてのアイテムの役割を考えると、装飾性が強く打ち出されたことが、そもそものスタートだと思える。こうした視点から現存する資料の内で最も古い、3300年前古代エジプトのトぅタンカーメン王のミイラに見られる首飾りで、今に残る彩色レリーフによれば、腰衣(シェンティ)をまとい、サンダルの様な簡単な履物をはいただけの身なりに、胸から肩にかけての円形状の首飾りとベルトが輝いている。服飾に詳しい歴史家は、この「カラー」と呼ぶ飾りこそがネック・ウエアの始まりだと見ている。  
首飾りから即ネック・ウエアに結びつけるのは、やや無理な感もしますが、はるか3300年も昔に男の首を飾る風習が存在していたことは、まぎれもない事実のようです。
古代エジプトから時代は、古代ギリシャ、古代ペルシャ、古代ローマへと移るが、この600年の間についてはTネック・ウエアUの推移が確認できない。が、紀元前50年頃のローマ人の暮しや街の風景画の中に、ハッキリと見ることができる。当時のローマ人の服装は大きな布地を頭からすっぽりとかぶり、腰の位置でひもを結ぶシンプルな衣服(チュニック)が中心。もちろんファッション性は低く、単色に

マ染めた程度の布地であった。こうした中でひときわ目を引いたのは、首に布を巻いた男の姿だった。
首にまきつけた布の事をTフォーカリア=focaliaUと呼ばれ、ラテン語でT首UT喉Uを意味するファウケース(fauces)を語意にした言葉で、当時盛んであった街頭での論戦弁士のシンボルと推測できる。おそらく弁士の喉を大切にする気持ちと、弁士というアピール効果から首を飾ったとみる。

次に確認するのはトラヤヌス大円柱のレリーフとして彫刻されているローマ兵士の勇姿。柔らかい感じの布を首に巻いている。明らかにユニフォーム=軍服に採用されていたと物語っている。首を飾る慣習は徐々に進行した様だが、この段階では大衆に普及しなかった。

1300年代中盤以降に一般化したTプールポアン=pourpointUツウピース形式で極めてファッション性が高く活動的で気品あるシルエットが特長とし広く大衆に普及。やがて立ち襟を飾る為縁どりをあしらったものが現われた。腰までの短い着丈とショース(パンツ)

1500年代スペインに出現した襟飾りTラフruffUと呼び、その装飾性は素晴しくプールポアン.ルックを見事に引き立てた。しかも背丈や顔だちによってヒダを自由に変える事で誰にでもよく似合って流行した。これは一挙に欧州全土に広まった。

1540年スペイン1560年イギリスでラフ人気が浮上した。エリザベス女王が職人招いた程気に入っていたとの事。フランスではラバ(=ravat) と呼称。尚、当初の立ち襟(スタンディングラフ)から肩にかけて襟が垂れている感じのTフォーリング・ラフUへと進化。  

こうした首を飾る男の歴史はいよいよ現代のネクタイの原型へ「垂れ下げ式から結び型へ」と移り変わっていく
1656年頃、パリに赴任したクロアチアのクロアット連隊が、首に垂らしている布(統一された布片は、力強い戦意をアピールするもので、しかもスマートなファッション性が感じられた)を見たパリっ子達が、早速それをまねて作り、たちまちパリで大流行したと云われる。
フランスの皇帝ルイ14世(バロック時代の太陽王=1638 〜1715 )が、大変気に入り全面的に取り入れ宮廷ファッションとして奨励、クラヴァットの定着の道を開きました。

 

当時のクラヴァットは、ローン・モスリン・シルクなどの薄手のソフトなスカーフで、レースや刺繍で縁飾りつけたものをたたんで首に巻き蝶結びにして端を首もとに下げました。
太陽王ルイ14世のクラヴァットに対する惚れ込み様は大変なもので、宮廷では結び方を指導するクラヴァット係を任命したり、その一方騎馬兵には、ブルボン王家の白の旗色にちなんで、白いクラヴァットをユニフォームに採用すると同時に、王自身の胸元にあしらい“ロイヤル・クラヴァットレジメント”と、命名したとの事です。  
こうしたルイ14世の後押しと、この頃の男子服は衿なしの長上衣(プールポアンから基調を移した男性服“ジァストコール=justacorps”)は、どことなく間が抜けた印象であり、引き締めるポイントとして胸飾りが必要で、クラヴァットはアクセサリーとして定着する様になったとの事です。
☆ジァストコール=justaucorpsとは、
 襟なし、前開きで膝丈のコート状の上衣で、ジァストコール(胴体にぴったりした。との意)の名が示すとおり、胴を細く絞り、腰から裾に向って優雅な広がりを見せるシルエットに特徴があった。後裾には乗馬用に深いベンツがあり、長袖の袖口は幅広のカフスが装飾となっていた。
 また、前あきには右身頃にボタン、左身頃にボタンホールがびっしりと並べられていた。
 このジャストコールの登場は、上衣、ベスト、スラックスという男子服の三部形式を確立させたもので、18世紀後半、ジャストコールの呼称は消えても、モーニング・コートやタキシードなどにその基本形が受け継がれていった。  
☆1643年イギリス、この種のものは見られるが、一般化するの1660年代に入ってからです。
☆1692〜1730年『スティンカーク=steinkirk』と呼ぶクラヴァットが流行した。マ右上図
○スティンカーク→独特の止め方や結び方をした長いクラヴァット』との事です。
○スティンカークの名前の由来→ベルギー領・スティンカークで、夜襲を受けたフランス軍将兵が取るものも取り敢えず、クラヴァットを軽くねじ込んだり、引っかけたり。留めたりしたまま戦って勝利に導く事が出来た。この時の服装をイメージしたもので、フランス軍の勝利を記念して名付けらた。
☆クラヴァット=cravateの名称由来=英語のネクタイ及びネッククロスにあたる仏語
ロクロアチアを指すフランス語「クロアット=croate」からという説。
ワTクロアチアU人が巻いていたTラバUという事で、二つの言葉を合成した説。
   ☆クロアチア=Croatia【公式国名=クロアチア共和国=The Republic Croatia
ヨーロッパ中部に位置し、アドリア海に面する共和国。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成する共和国の一つであったが、1991年分離、独立。首都はザグレブ。工業が中心。
▽面積;5万6538I/九州の約1.5倍 ▽人口;450万人 ▽住民;クロアチア人セルビア人等
▽主要言語;クロアチア語 ▽宗教;カトリック・セルビア正教など
▽通貨;クーナ ▽一人あたりGNP;3250ドル
★各国のネクタイの呼称。

フランス

クラヴァット=cravate

ポルトガル

クラヴァータ=gravata

イタリア

クラヴァッタ=cravatta

ポーランド

クラヴァット=krawat

ドイツ

クラヴァッテ=krawatte

フィンランド

クラヴァッティ=kravatti

スペイン

コルバータ=corbata

エスペラント

クラヴァート=kravato

1730〜19世紀頃まで、紳士達はストック=stockを愛用した。これは、首に巻いた幅広の帯状の衿飾りを後ろで結んだり、バックルで留めたりした。この時代は、型の変化よりも、巻き方結び方に創意工夫が見られた。

18世紀後半フランス革命前後に若者の間で流行したTアンクロワヤブルU語意は奇妙な・驚くべきで、鼻の下まですっぽりと覆うまるで覆面をしたかのスタイルであった。

◎1890年代には、乗馬や狩猟の服装に、透ける布地のストックを、首に二重三重に巻いた。
◎ストック→厚紙やフレームで形づくられた腰高のキャンブリック(平織の薄手亜麻布、綿布)やリンネル(リネン)製の襟飾り。
◎ソリテール=solitaire→イメージ・イラスト<上左>のように、一時単独で直接首に巻く事が流行った。

19世紀メンズ・ファッションの主流は、パリからロンドンへ移っていた。装飾的ベストの登場で、ストックが復活して、高い位置にキチンと結ぶタイプが脚光を浴びた。英国国王ジョージ4世は軍服ではなく、正装に首にぴったりと巻き両端を前で軽く結んだ白いストックを用いた。

1850年代『巻く』から『結ぶ』へと大きく変化した。首元に高々と巻き付けたクラヴァットの前結び目部分を独立させたもので、従来のスカーフ状のクラヴァットをいかに邪魔にならない様に胸元を収めるかの工夫の現われだこれはラウンジ・ジャケットの登場によるもの。

◎ラウンジ・ジャケット→燕尾服のテール(尻尾の部分)を省略した簡単便利な上衣で、軽快さが認められて次第に浸透していった。

1870年代英国アスコット競馬場に集う紳士達が、新しいネックウエアとして採り入れた結び方。アン女王の命を受けて開設された由緒正しき競馬場。その名が冠せられたアスコット・タイ。右イラスト参考図

1890年代に現代の幅タイと全く同じ型が登場した右イラスト参考図

☆1890年頃に、現在の原形にほぼ近い大剣と小剣で作られた、結び下げのフォア・イン・ハンドに移り、背広服とフォア・イン・ハンドのクラヴァットが男子服の基本として定着した。
◎フォア・イン・ハンド=four in hand→ダービー=derbyとも呼ばれる。そもそもは、御者一人で駆ける四頭立ての馬車を意味し、御者が手綱さばきに便利な様に考えた結び方で有ったとされている。又、一説には、結んで下げたクラヴァットの長さが、手のひら四つ分にあたる処から名付けられた。
ヌ参照=我が国での変遷。

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